バブルの時代というのは日本人の心に大変な傷を残した。そしてバブルが崩壊し、浮かれていた世相を省みる書として中野孝次氏の『清貧の思想』がベストセラーになった。
ベストセラーにはなったが残念ながら清貧の思想はその後の日本人の心には定着しなかった。97年の金融危機が酷すぎたのか、2000年のITバブルで再び浮かれ、再度の構造不況を経て、いまは格差社会と呼ばれている。議員になって清瀬市の財政状況に絶句していた頃、「豊かさとは何か」にこだわり以下の文章のようなことを考えていた。
(以下の文章は1999年1月に書かれたものです)
実を言うと、一人暮らしを始めてから昨年まで私の部屋にはテレビがなかった。どうしても見たい番組があるときには実家に戻って見た。この調子だから部屋には余計なものがあまりない。私の部屋に来た人はあまりの殺風景に拍子抜けするようだ。最低限の生活必需品が揃ってからは、買いたいものがそれほどないのである。
ビデオデッキはあるのだが、「いつか見よう」番組をたくさん録画して溜めておいて、結局どのテープに録画したのかわからなくなり、イライラしながらあっちこっちのテープをひっぱり出すことになる。それから、いよいよ携帯電話を持たざるを得なくなった。扱いに慣れないので電車の中で鳴らして迷惑をかけてしまうことがある。
来日3年になる水墨画の画家のLさんは、私以上に徹底した倹約家で、清貧を生活の基本としている。身の回りにモノが溢れることを恐れ、心の平安が乱されるとまで思っている。主義をもった中国人というのは、実に堂々としている。
土光敏夫氏の清貧ぶりも有名だった。東芝の会長でありながら私生活はいたって質素で、生活費は月10万円だったという。「しかしながら、日本人がみんな土光さんのような生活をしたら、東芝のような会社はつぶれてしまいます」と誰かが話していた。実際そのとおりであり、日本の経済成長は、外国に物を売ることと、少しでも便利な生活をするための消費をすることで成り立っている。
あれば便利だが、別になくても済むものの売れ行きで経済成長率が上下している経済、そんな経済で成り立っている社会が『豊かな社会』とは私にはとても思えない。
清瀬という街の最大の「商品」は自然環境の豊かさであろう。柳瀬川沿いでカワセミの姿を追っていたり、雑木林のなかをあれこれ考えながら歩いているときなど、一銭のお金も払っていないのだけど、私は十分に「豊かな時間」を実感する。
正確に言うと、多額のお金を私たちは環境の整備のために税金として払っている。もうこれからは新しい建物を作るよりも、雑木林を市が買い取って公有化することに税金を使っていきたいのだが、人々の要求は様々なので、そんな税金のつかいみちが支持されるようになるのはまだまだ先の話になるかも知れない。気象衛星センターの跡地も、個人的希望としては植樹してまるまる雑木林にしてしまいたいのだけれど、そんな単純な願いだけでは多くの人々はまだ納得してくれそうにない。
私は経済については無知だが、高度成長期以後のこの国の経済は、余計な消費をすることで拡大してきたと解釈している。おかげで経済大国として飢え死にする心配のない暮らしをしているわけだが、これからの日本人が望む『豊かな生活』とは、こういった経済では得られないだろうことだけは、わかっているつもりでいる。
老子の言うような牧歌的な社会には戻れないにしても、美しい自然に囲まれて、簡素な生活を目指すことが、これからの価値となるだろう。
旭が丘に住むSさんは、市内の雑木林が相続で売却されることを何よりも恐れ、そのたびに私たち議員に手紙を書いてくる。自然に負荷をあたえないで質素な生活をすること、Sさんの訴えは単純明快であり、一点の曇りもない。ご本人は「身体も頭もすっかり年をとってしまって」と口癖のように言っているが、この人ぐらい澄んで先の見える目を持っている人はいないと思う。