ボランティア活動の本質とは――堀田力さんインタビュー

青少年がボランティア活動をすることの意義は「自分を発見すること」にあるのです。無限の可能性、自分が将来いったい何をしたいのか、人生の基礎を作っていくこととして、ボランティア活動は非常に有意義なのです。……堀田 力

このインタビューは私がまだ議員になる前、1994年、東京ボランティアセンターで青年向け情報誌を制作していたさいに行ったものです。10年以上前のものですがボランティア活動の本質をわかりやすくお話しいただき、私のボランティア活動への関心を高めてくれました。

議会ではボランティア・市民活動の支援と拡充のため「総合的なボランティアセンター」の設立を訴えてきました。これが現在の「清瀬市民活動センター」として結実したのはうれしいことです。

「鬼」「カミソリ」と呼ばれたロッキード事件担当の特捜検事が、福祉の世界へと転身したことが大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。

ボランティアの有償サービス化や学校教育でのボランティア活動の評価について積極的な姿勢をとるなど、この世界で大きな反響を呼んでいる堀田氏に、インタビューを申し込んだ。

Q 高齢化社会を迎えるにあたって、高齢者福祉について行政とボランティアの望ましい関係とは?
堀田 行政や福祉企業には専門性・技術性があります。それに対して家族とボランティアは、「心」をもっている。行政や民間企業が専門性・技術性をもって「身体」を受け持てば、ボランティアは暖かい気持ちで接して「心」を受け持つことになります。美味しいものを食べたいときは一流の料亭に行くこともあるが、家族が作ってくれる食事は心がこもっている。心の交流の部分がボランティアの役割ですね。
Q 欧米の場合には教会というボランティアの素地がある。日本の場合はどうか。
堀田 ボランティアの源流は、18世紀以降です。産業革命が起こって、貧富の差が拡大し、恵まれた人が恵まれない人を助ける。それを教会が助けた。
現在では先進諸国はいろいろな政策のおかげで貧富の差が接近してきました。そこで、お互いに助け合うという意味でのボランティアが盛んになりました。急に入院したり、子どもの面倒をちょっと見てもらうことは、お互いさまの関係のボランティアです。
タテ型のボランティアからヨコ型のボランティアへ。これはボランティアというより、昔からずっとあった人間本来の助け合いの自然な気持ちです。
Q これまで日本の企業社会は地域とのつながりがなかった。今は企業の意識も変化しているようですが?
堀田 すべて日本は望ましい方向に向かっています。貧しいころは自分の生活水準を上げることにやっきになり、お金を稼ぐことに夢中になっていた。今は住宅以外はモノはそろった。そこで初めて、みんなの目が心のつながりに向き始めたわけです。企業もそういったことに目を向けないといい人材が集まらない。地域に貢献しないと地域も受け入れてくれない。生活の基礎が整うにつれて、企業の役割も変わらざるをえないわけです。企業だけでなく、政治も教育も、社会のあらゆる面が変わりつつありますね。そんななかでボランティアという大きな流れができてきているのですね。
Q 有償ボランティアを推進する理由を教えてください。
堀田 これは、「お互いさま」で無償で助け合う仕組みが根付くまでの、日本のしきたりにのっとった過渡期の方法だと考えています。
お互いに助け合いの気持ちからするボランティアが定着してくれば、20~30年で有償ボランティアなどなくなるでしょう。ところがいまの高齢者のかたは、これまでボランティア活動をしていないから、他人から無償で助けてもらうことに気が引けてしまい、頼みづらいのです。気持ちよく頼むために謝礼くらいあげないと、という気持ちがある。
有償といっても、賃金のような労働の対価ではない、あくまで謝礼です。引っ越しを手伝ってもらった親戚の学生に小遣いをあげるような感覚です。
Q 有償に慣れてしまうと、お金をもらうことを期待してしまい、ボランティアとしての「心」の部分をなくしてしまうのでは。
堀田 人さまざまでしょう。多くの人は無償へ向かうと思います。なかには技術を積み、それを生かしてプロの家政婦になる人もいるでしょう。どちらもいいのです。
Q ボランティアの純粋性・無償性を訴える、伝統的な考え方の人たちとの議論がありますが。
堀田 社会の必要に応じて、いろんなタイプのボランティアの考え方があっていいのです。難民の人たちからお金を取るわけにはいかないし、なかにはある程度の財産のある人で、有償でいいからボランティアを必要としている人だっている。
有償の考え方について、汚いものが入ってきたように扱うべきではない。どっちがいいとか悪いとか、ボランティアとはこうあるべきだと、決めつけ、他を排除する態度はよくないと思います。
Q 青少年がボランティアをする意義は?
堀田 とくに青少年がおこなうことの意義は、「自分を発見すること」にあるのです。無限の可能性、自分が将来いったい何をしたいのか、人生の基礎を作っていくこととしてボランティア活動は非常に有意義なのです。今の学校教育は、鋳型にはめる教育で、そこから自分を発見することはできない。例えば、ボランティアをしてみて、自分は人に対して尽くすことが好きなのだとわかり、看護婦になりたい思うようになるかもしれない。
Q 学校教育でボランティアを評価しようとしているが。
堀田 このことに関連して学校教育でやるべきことは2種類あります。ひとつは社会貢献の教育。道路を清掃したり、缶を拾ったりすることを学校教育のカリキュラムの中に取り入れるべきです。その結果、もっとやりたい人が自発的に始めるのがボランティアですね。次に、ボランティアの評価。いいことを自発的にやることはプラスの評価をしてもいい。
Q 評価の方法がむずかしいのでは。
堀田 理科や数学のように点数で評価する必要はないのです。人格面でのおおらかなプラス評価がいい。リーダーシップのある子、心の優しい子を評価しないと。そうでないと知識のある人間だけが評価され、社会がよくならない。
Q ひとりの教師が40人もの生徒を評価できるものか、疑問がありますが。
堀田 ボランティア活動を数学のテストのように点数評価する必要はない。体育や美術の教師は、その教科について総合的に評価をしてる。ボランティアについてはマイナス評価は必要ない。プラス評価だけでいい。
Q 評価を目当てにした、にわかボランティアの問題は。
堀田 最初は混乱するだろうが、過渡期の現象です。にわかボランティアは長続きしないで脱落し、本物だけが残ります。しかし、本物のボランティアでさえ受け入れない受け入れ先の問題もある。専門性・技術性を重視するところほどボランティアを邪魔にする傾向がある。例えば、食事を取らせるときに、プロはぱっぱっと要領よく残さないように食べさせることができるかもしれない。一方ボランティアがやるとぐずぐずと時間がかかってしまうかもしれない。そうなるとボランティアは邪魔だと考えてしまう。しかし、専門性があっても心がなくなってしまうといけない。ボランティアの役割をきちんと理解している所は、辛抱強く受け入れてくれる。
Q 堀田さんなりのボランティアの定義は。
堀田 社会や人のために善かれと思ってやること。賃金を目的としない。強制されない。この3点ですね。
Q これからの日本の社会福祉は、北欧型の高福祉高負担となるべきか
堀田 国民は増税にアレルギーがあるから高負担を認めないだろう。また、伝統的に官尊民卑の気風がまだまだある。官が心の部分に立ち入るのは、日本の気風に合わないところがある。もちろん行政ももっと頑張らなければいけないが、スウェーデン・デンマーク型の高福祉高負担は無理でしょう。高福祉中負担がいい。行政が身体の部分、ボランティアが心の部分を受け持てば、中負担で高福祉になります。
Q 本日はお忙しいところをどうもありがとうございました。

1994年11月9日 さわやか福祉推進センターにて

 

[聞き手]中田明子・石川秀樹(東京ボランティアセンター ワニボラ通信編集部)

堀田力(ほった・つとむ)氏

略歴
昭和九年京都府生まれ。京都大学法学部卒業後、検事となり、五一年東京地検特捜部検事。ロッキード事件では田中角栄元首相らに論告、求刑を行った。平成三年、法務大臣官房長を最後に転身、福祉の世界に入る。現在、さわやか福祉推進センター所長。弁護士。